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ひとうたの書(二)文字と空間

昌:では、今日は、それぞれの作品の書について、教えてください。歌に対して、どのように書風を選ばれたのでしょう。


知:昨日は、古典を葉っぱに例えた話をしました。それが分かりやすいのが、第一首と第二首です。


昌:第一首は「花をのみ待つらむ人に山里の 雪間の草の春を見せばや」。藤原家隆の歌でした。


知:歌の内容歌の通り、文字も小さく芽吹く葉っぱのようなエネルギーを持つかな古典を探しました。そこで思い付いたのが「中務集」です。


昌:「中務集」って何ですか?


知:中務という平安時代の女性の歌人の歌を書いた歌集です。


昌:中務さんが書いた書、ではないんですね。


知:そうです。昔はあまり書を書いた人には注目しませんでした。誰の、どんな歌を書くのか、ということの方が重視されたんです。中務というのは、彼女のお父さんの役職名で、それをそのまま女房名にしたのです。平安後期の細身のかな書の名品と言われています。


「中務集」のかなは、一つ一つは小さい文字ですが、力強く伸びやかな筆です。その小ささの中にある生き生きとした生命力を芽吹きのイメージに重ねることができるのではと考えました。もちろん「中務集」にはこの歌はないけれど、「中務集」の持つエネルギーを自分なりに消化して、この歌の書として書きました。


昌:たしかに他の作品と比べると、字が小さめかもしれません。


知: 一方、少し硬い松葉や針葉樹のようなイメージで書いたのが、第二回の「寂び」です。


昌:藤原定家の「見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ」でした。


知:これは「継色紙」のエネルギーを想定しました。


昌:えーっと、「継色紙」とは・・。


知:もともとは万葉集や古今和歌集を写した冊子形式のものでしたが、その後掛け軸として愛でられたんです。和歌を一枚に収めず、二枚に渡って継ぎ書きされているので「継色紙」と言われるようになりました。


昌:なるほど。


知:それまでの流れの美しさを重視する、ひらひらと花が舞い降りるような古典ではなくて、落ち着いた、重たいイメージです。石庭のような古筆と表現されたりもします。余白使いの美しさも評価されています。


この歌は、継色紙を意識しながら、松だから葉っぱは細く、そして少しだけ幹がうねるようなイメージで作成しました。


昌:全体に左方向に流れているように見えますね。


知:下線を地面として、左上に太陽に向かって植物が伸びていくように・・という意識はありました。


昌:田さんも表具の際に、左から光が当たる風景を想定したとおっしゃっていました。


知:理由は分かりませんが、書は左に倒れるのが美しいとされているのです。右に倒れるのは良くない。古田織部は、そのことを利用して、筆頭茶道になった頃に、わざと右に倒したような、下手に見える字を書くようになりました。目を付けられないように、わざとへうげものを演じたのかもしれませんね。


本文の中で、さびの概念を「苦悩であったものがその後、空寂感へと移りゆく」と説明しました。だんだんと、表具の左方向に行くにつれ、エネルギーが静かに消えていく様も表現できればと思いました。


昌:個々の文字の形だけでなく、紙という空間にどう字を配置するかという点も表現の一つだということが、なんとなく分かってきました。



明日は、書と、それを書く人についてお伺いします。


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