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忘れじの          

忘れじの行末まではかたければ 今日をかぎりの命ともがな

-高階貴子 



「忘れまい」ということばが行末まで変わらないのは難しいから、そう言ってくれた今日を限りとした命であってほしい。


この歌に添えられた詞書には、「中関白 通ひそめ侍りけるころ 儀同三司母」とあります。時の関白、藤原道隆が夫として貴子のもとに通いはじめたころに詠った歌だとわかります。




当時は一夫多妻制で、通い婚が当たり前。通ってくれる間は幸せですが、それがいつまで続くだろうかと、常にその幸せには不安が付きまとっていたのです。だからこそ、幸せの絶頂である今日を限りとして死んでしまいたい。そんな素直な気持ちを吐露した和歌です。





貴子は後の儀同三司、藤原伊周(これちか)や、一条天皇の后・定子(ていし)を生みました。夫の死後は出家しましたが、伊周が失脚したため、晩年は不遇だったと言われています。




―仮名遣い―


わ(王)すれ しのゆくすゑ(恵) ま(万)てはかた(多)け(遣) れ(連)は(ハ)

今日をか(可)き(支)りの いのちともか(可) な(那)



(根本 知)



今月の御菓子:たまゆら




貴子の賢く強いイメージを小豆羊羹と本紅羊羹の色合いに、垣間見える純粋さを一点の白椿に込めました。


交差する配置は、男性が女性の家へ通う慣習を表しています。




菓子製作 巖邑堂(浜松)





 

筋割り表具 筋風帯

裂地 : 唐草紋緞子 

軸先 : 塗り




書と料紙を見て、歌の意味を感じたとき、じっくりと作品に向かえるような表具にしようと思いました。

(岸野 田)



※次回の更新は、3月上旬を予定しています。

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