行水を 捨てる小池や 蓮の花
−正岡 子規
芭蕉とその弟子たちを追った俳諧の旅。今回からの3回は「俳句編」として、正岡子規とその思想を受け継いだ俳人たちの句をご紹介します。
「俳」諧における第一句、発「句」(ほっく)。その魅力に気づき、「俳句」という言葉を定着させたのは正岡子規です。彼は帝大国文科入学後の明治二十四年に「俳句分類」の仕事に着手し、古句研究に勤しんでいました。そこで得た知識をもとに、新聞「日本」に『獺祭書屋俳話』を連載し、形式化していた句を「月並俳諧」と呼び批判することで、俳句の世界に新たな息吹を生み出そうとしたのです。洋画家の中村不折らとの交流によって、画論における「写生」の意識が、俳論にも活かせることを見出し、事物をありのままに写す「写生俳句」こそが俳句革新において最も相応しい方法だと信じたのでした。その後は、従軍記者として日清戦争に赴きますが、帰途戦場で喀血。そして療養中にしたためたのが子規の代表的な俳論書『俳諧大要』でした。その第一章は次の文章で始まります。
「俳句は文学の一部なり。文学は美術の一部なり。故に美の標準は文学の標準なり。文学の標準は俳句の標準なり。すなわち絵画も彫刻も音楽も演劇も詩歌小説も皆同一の標準をもって論評し得べし」
「俳句は文学である」といい、他の藝術と同様の標準をもって論じられるべきだとの主張は、俳句という分野の評価を高めるきっかけとなりました。その後、病床に臥すことになった子規でしたが、文学活動に専念して句会を開きつつ、句誌「ホトトギス」の刊行によって多くの新人を育てます。「芭蕉の文学は、古を模倣せしにあらずして、自ら発明せしなり」と述べた子規。彼は「写生」論を主軸として、これまでにない表現を試みました。
「行水をすてる小池や蓮の花」子規
たらいなどで沐浴したあとの水を小池に捨てるという何気ない生活の一場面と、そんな濁った水であっても美しい花を咲かす蓮との配合が面白い一句です。
「鶏頭の十四五本もありぬべし」子規
これはただ、夏の陽射しを受けた鶏頭の花が、赤く群れ咲いていることを詠んだ句です。一見すると、目の前の情景をデッサンのように綴っただけの言葉たちですが、五七五という形式を得ることで素朴で清らかな印象の句へと昇華されるのです。「写生」とは「天然」を写すもの、天然というものが日々変化しているのであれば、それとともに写生文学も自然と変化してゆく。「写生」の作を見ると、一見浅はかなように見えても、深く味わえば味わうほど趣が深いものがあると子規はいいます。
ただ無感情に目の前のことを詠めばよいというわけではありません。子規自身は、自分の「感情」をあらわすことに骨を折り、その結果、一句が十七字となるか、十八字となるか、はた二十字以上となるかは予期するところではないのだと述べます。彼の目指した「写生俳句」というのは、あくまで最初に「感情」ありきだったのです。そしてその感情が実景や事物などに溶け合うことで、その句は平淡な趣を得るのです。
(根本 知)
うたと一服
江戸時代から松山に伝わる醤油餅。
醤油餅にあんを入れたものが評判となり、醤油餅専門店として今も続いているのが明治16年創業の白石本舗です。
甘いものが大好きだった正岡子規も、この醤油餅を食べていたのかも知れません。
菓子:醤油餅(白石本舗)
表具:現代の布地
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