ほそみ

鳥共も 寝入てゐるか 余吾の海 

 −路通



芭蕉の弟子、路通の一句です。漂泊の末に、路通は琵琶湖の北側にひろがる余呉の海にいました。静まり返った夜更けの海では、水鳥たちも寝入っている様子。それらに想いを添わせてはみますが、かえって際立ったのは孤独感でした。そんな路通の眼差しは、読み手の心の奥へとゆっくりと染み入ってきます。それは水面で休む水鳥だけでなく、遥か背後にいる山中の鳥、さらに飛躍すれば縁のあった人々や、どこかで自分と同じく旅をしている師、芭蕉にまで想いを馳せているのではないかと思わせます。



のちに路通が、再会した芭蕉にこの句を伝えると、「ほそみあり」と評されました。この言葉は芭蕉俳諧独自の美意識といえ、それまでの文芸史にはなかったものでした。その後、前回ご紹介した去来が「細みはたよりなき句にあらず」と書き残しています。ただ華奢なわけではないというのです。また芭蕉は、全く異なる俳風を持つ俳人の句を、自身の「閑寂」と比較して「伊達」と評した上で、そのどちらも実は根底に「ほそみ」があると芭蕉は説明したのです。



芭蕉が「ほそみ」というものの重要性に気づいたきっかけには、かつての歌人、藤原俊成と西行の和歌がありました。この二人の和歌は、さして重要ではなく言い散らされた戯れごとなのに、そこにはなんとも趣深いところが多いというのです。その理由を辿るうちに、後鳥羽上皇の言葉に出会います。それは、「歌に実ありて、しかも悲しびをそふる」というものでした。そして芭蕉はこの言葉に対して、その「細き一筋をたどり」たいと、決意を新たにしたといいます。

ここで注目すべきは「細き」が「悲しび」との関わりを有しているということです。これを踏まえれば、「ほそみ」とは「悲しび」と絡まり合うことによって、「閑寂」という高き境地へ辿り着ける手がかりだともいえるでしょう。



そんな芭蕉は『野ざらし紀行』の旅の帰途、弟子に書簡を出しました。このなかで「旅」とは「悲しび」であると述べています。また、この後に『奥の細道』の旅が待ち受けていますが、この旅を契機に「当門俳諧すでに一変す」と去来は綴っています。つまり、芭蕉は『奥の細道』を通して「ほそみ」という他の流派にはない、独自の美意識を構築していったといえるのです。


(根本 知)


 

うたと一服









芭蕉の旅を追って,

山形に伝わる保存食、くじら餅を選びました。

芭蕉の聞いた蝉の声に思いを馳せて。



菓子:山形 久持良餅

茶:麦茶













 

表具:筋割り表具 裂地:藍染め木綿 (布団の裏地) 軸先:アクリル

料紙・・写真印刷


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