旅に病んで 夢は枯野をかけ廻(めぐ)る
−芭蕉
正岡子規とその弟子たちを追った「俳句編」から、芭蕉を中心とした「俳諧編」へと戻ってきました。
芭蕉はしばしば「枯」や「痩」の趣に興味を示し、多くの句を残しました。江戸期の俳人、素隠の『三躰詩鈔』には、「痩」「枯」の美は禅僧の姿につながるものとされ、肉体の「痩」「枯」が、心とも相関する関係であることを説いています。老いによって肉体が痩せほそり、それにともなって精神も禅僧のごとく欲から離れて枯れていく。その境地を「からび」と言いました。
とりわけ冒頭で取り上げた句は、芭蕉の臨終吟でもあることから、人生の最後まで志向した美が表れているといえます。この句に登場する「枯野」は、季語としての役割はもちろんですが、芭蕉の理想郷でもあったと捉えることができます。
「枯野」から想起して「からび」という言葉を当ててみたものの、この句はより広範な意図を含むようにも思え、この文章を書くにあたり、私は何日も「からび」について考えていました。
秋も終わりに近づいてきたある日、ふと窓の外に目をやると、紅葉した木々の姿が見えました。いまだ多くの葉を残しているものの、水分を失った葉の輪郭は内に向き、丸まろうとしているその様子からも、冬支度の気配が感じられます。その姿に見惚れていたとき、ふと目の前の一葉が風に撫でられ、枝から離れてゆきました。それを見て私は、この一瞬がその葉が春から夏にかけて揚々と溜めた養分を、枝を通じて本体に送り、その役割を終えて去った瞬間だった、ということに思い至りました。葉の落ちるずっと前から、その準備は始まっていたのです。そしてまた次の春が来ると新たな芽吹きを迎え、命はつながれていきます。
その一瞬の姿を通じ、もうすぐ自身がこの世を去ることを知った芭蕉、そしてなお尽きることのない俳諧への情熱、そしてその場を「枯野」とした芭蕉の真意に少しだけ触れられたような気がしました。
芭蕉は平安末期の歌人、西行の歌集『山家集』を座右の書としていたといわれます。『山家集』をひらいてみますと、私の目には次の歌が留まりました。
花におく露に宿りし影よりも 枯野の月はあはれなりけり 西行
この句の持つ特徴は、花の露、さらにその影といった小さな視線から、枯野、月に至るまで、読み手がすべてを見渡しているような物理的な視線の広さです。一方芭蕉の句には、その先の時間軸までも想像させるようなより大きな視野を感じます。
芭蕉亡き後も、残った弟子たちがその思想を継ぎ、現代まで形を変えて俳諧は引き継がれています。
芭蕉が願った通りに、その夢が今を駆けめぐっているのかも知れません。
(根本 知)
うたと一服
富山県高岡市に明治から伝わる「鹿の子餅」。
加賀羽二重の絹のやわらかい肌の趣を取り入れたという純白の餅の中の金時豆が、子鹿の模様を現わしています。
菓子:不破福寿堂(富山)
表具:パネル表具・・ 鼠地の葛布、明治期の茶地の紬、表具外しの金襴
料紙:写真印刷
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