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以近論遠

見一葉落 而知歳之将暮 

睹瓶中之冰 而知天下之寒 

以近論遠

−淮南子



一葉の落つるを見て歳の将に暮れなんとするを知る。瓶中の冰を睹て天下の寒を知る。近きを以て遠きを論ずるなり。


ただ一枚の葉が落ちるのを見るだけで、年が今まさに暮れようとしているのを知ることができます。また、甕の中が凍っているのを見て、世の中が寒くなったことを知ります。身近なことをもって遠くのことを論ずるのです。


平安時代、万葉仮名から流麗な仮名へと移行する過渡期に遺された書の名品「秋萩帖」。これは草仮名の遺品として、書道史のみならず、日本語学や日本文学においても重要な資料です。「あきはぎの」から始まる和歌が巻頭に書かれていることにより、その名がつけられました。この巻には、和歌48首だけではなく、書の名声高き王羲之(東晋・303〜361)の手紙の臨書も収められています。


これだけでも充分に貴重で、かつ国宝にも指定された「秋萩帖」ですが、驚くことにこの紙裏にも書がしたためられていました。それが『淮南子(えなんじ)』でした。「秋萩帖」には一部である「淮南兵略閒詁」が書され、その筆写内容は今まで伝わってこなかった脱文箇所だと分かり注目されました。またこのことがらは、漢字から仮名が生まれる時代に『淮南子』が日本でも読まれていたことの証明でもあります。


漢の武帝のころ、淮南(わいなん)の地には多くの学士食客が集まり、数多くの著作を残しました。それを集めたものが今に伝わる『淮南子』です。その内容は、天文地理や神話伝説、さらには政治論や処世術、兵法など多岐にわたります。中国のそれまでの伝統的な思潮、儒家や道家、法家などと呼ばれる思想もすべて含んでいるという点でもとても珍しい書物です。しかしその内容は、著作者が様々であることも起因して、章によって矛盾している論理もいくつか見受けられます。一見して容易に統一することは困難に思える『淮南子』ですが、要略篇ではそれを巧みに結びつけているのです。


「深遠な道をのべながら現実の事をいわなければ、世俗とともに生活することができず、現実の事ばかりをいって深遠な道を語らなければ、自然とともに遊び息うことができない。」(『淮南子の思想 老荘的世界』金谷治著・訳より)


要略篇を記した者は、思想を語る際には、深遠な道理と具体的な事象とはどちらも捨てることのできない重要な要素であると述べています。篇ごとに主意も異なり、目指すところも違っているように思えるかもしれませんが、根本の道についていえば一つであると。そして、それらを結びつけることのできた思想こそ「荘子的」な世界であったと後の研究では指摘されます。それは、どちらか一方の考えに偏ることのない自由な境地でした。



ところで『和漢朗詠集』の立秋の部立には、保胤の漢詩が収められていますが、その詩の題は「菅師匠の旧邸にて一葉庭に落つる時を賦す」です。菅原文時、通称「菅三品」の旧邸で作られたものですが、題にある「一葉落」は当時、秋の訪れをいうときの常套句としてよく用いられました。これは冒頭に挙げた『淮南子』の一節が元になっていることは明らかです。


また、安土桃山時代の連歌師、紹巴 (1525〜1602)は、自身の著述した『連歌至宝抄』の中で、梧桐の一葉が落ちるのを見て、天下が秋となったことを知ることができると、『淮南子』を引用して歌論を説きました。そしてこの概念は、後世にまで長く引き継がれることとなります。


「桐一葉 日当たりながら 落ちにけり」


たとえばこれは明治から昭和にかけて活躍した俳人、高浜虚子(1874〜1959)の句です。『淮南子』は詩ではありませんが、日本の「うた」の歴史に影響を与えた重要な思想として紹介すべきと考えました。「以近論遠」という、ごく小さな現象から背後の大きな変化を感じ取ろうとする姿勢は、茶の湯の「わび」の精神にも一脈通ずるものがあると私は考えています。


(根本 知)





※第十二首は、2021年9月7日(火)に公開予定です。


 

うたと一服


櫻井焙茶研究所の櫻井真也さんに、お茶とお菓子を選んでいただきました。

凛とした佇まいの氷室豆腐に、柔らかな色合いの番茶を合わせて。


飲み終わった器にも、次の季節を想わせるほのかな薫りが残りました。


茶 釜炒番茶・べにふうき

菓子 氷室豆腐

  

櫻井焙茶研究所(東京 表参道)



(山平 昌子)


 

表具:パネル表具 牡丹唐草紋銀襴 宝入四ッ手雲紋様緞子 茶地の絓

同様の作品を、ご希望の歌やお手持ちの裂地で作成いたします。

お気軽にご相談ください。

 


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