はじめに

その道に 入らんと思う心こそ 我が身ながらの師匠なりけれ



その道に入ろうと思った心こそ、自分にとっての師匠だと思いなさい。

そんな原点の大切さを利休の歌は伝えてくれます。


私は、今まで多くの茶会に誘われ、床の間に掛けられた軸を見る機会を得てきました。14歳のころより平安時代の仮名書道を学び、その後もひたすらに書の道を邁進してきた私にとって、床の間に飾られる書はいったいどのようなものなのか、大変興味がありました。


しかし、その多くは漢字で書かれたものばかりで、仮名の書と出会う機会は少なかったのです。それは現代の茶会では禅語をかけることが慣例となっていたからでした。それは何に起因するのでしょうか。

茶の湯の歴史においては、仏教のなかでもとくに禅とのかかわりが強調されてきました。それは平安後期から鎌倉初期にかけて、日本から多くの僧侶が宋の時代(960-1279年)の中国に渡り、禅の思想とともに茶を喫する文化を持ち帰ってきたことに由来します。その後、さまざまな茶人によって茶の湯のかたちは整えられますが、その中心には常に禅の思想がありました。

宋という時代は、宗教や学問のみならず、詩や書、画などのさまざまな芸術が花開いた時代でもあります。後に王朝が変遷してからも、その思想や文化は憧れの対象でありつづけました。とくに日本に伝来した僧侶の書は、その徳や思想が身近に感じられるために、茶の湯の世界において後々まで重用されることとなります。こうした茶と禅、中国とのかかわりが、高僧の書いた禅語を茶会の掛け軸に用いるという、現在の習わしにつながっているのです。

宋は書を勉強する者にとっても、書の一端を担った重要な時代です。書家である私は、これまで書と関係の深い仏教の観点から、禅と茶の湯のかかわりに注目してきました。


しかしあるとき、私は茶の湯の成り立ちにおいて、禅だけでなく和歌とのつながりがあることに気が付きました。たとえば親しい人たちが集まって茶を楽しむ茶会は、もともとは連歌会という和歌の文芸から派生したものですし、利休の弟子が記したといわれる茶の指南書「山上宗二記」には連歌の表現が引き合いに出されています。さらに利休から紹鴎、珠光にさかのぼる茶の湯の流れにも、和歌の系譜を見出すことができました。そうした先人たちが重要視した歌をたどるうち、中国から入ってきた茶の湯は、古来の日本人が大切にしてきた自然に依拠する感性と混ざり合うことによって、独自に形作られてきたのではないかと考えるようになりました。


禅をたよりに茶の湯の歴史を追っていくうちに行き着いたのが、自身の研究の中心の和歌だったことに、私は虚をつかれたような気持ちになりました。そして、研究者、書家として、和歌から茶の湯につながる道筋を改めてたどってみたい。それがこの連載の起点となりました。

本連載、「ひとうたの茶席」では、現在の茶の湯につながる和歌を利休の時代から古今和歌集までさかのぼり、毎回一首紹介していきます。そして茶人たちが愛した和歌にどのような気持ちが込められていたのか、また茶の湯がはじまる前の歌人たちの思いが現在の茶の湯にどのように受け継がれているのかを探っていきます。全12回の連載では、和歌を書した私の作品を、表具師 岸野 田氏が表装いたします。そして華道家 平間 磨理夫氏によって花が添えられ、写真家 山平 敦史氏がそれを写真に収めます。


現代的な感覚を持つこれらの表現者とともに、床の間どころか和室も持たない家がほとんどであるいま、今日まで引き継がれた和歌の感性がどのように活かしうるのか、新たな視点からの提案ともなれば幸いです。

約一年間、どうぞお付き合いくださいますようお願い申し上げます。

最後に、此度の連載を形にしようと努めてくださいます、発起人の山平 昌子氏に感謝申し上げます。

書家・書道学博士 根本 知