対談:神津朝夫×根本知(後編)         

「変えない茶」と「変わっていく茶」


知:これからの茶の湯のスタイルというのはどのように変わっていくと思いますか?

神:和室もなくなり着物も着なくなり、これまでのようなお茶は自然と失われていくでしょう。今はまだ、お稽古の場でも和室・着物のお茶が残っていますけれど、それもいつまで持つかは分かりません。そうすると当然立礼・洋服で、ということになるでしょうし、実際、若い茶人の新しい試みも出てきています。


ただ、茶の湯は日本の伝統文化のパッケージとして包括的なだけに、今は「変えない茶」を意識的に残していく意義も一方では新たに生じています。そう考えた時、あらためて茶の湯の核心、本質は何なのかが問題になるでしょう。


仲の良い数人が寄り合って食事をしたりお酒を飲んだりして、お茶の時間を共有する。今は美術鑑賞の要素もあるでしょう。親密であってもそこではあんまり俗っぽい話はしないでおこうね、という約束の中で楽しんでいた世界です。そういう世界が再現できていれば、どんな道具、どんな部屋であっても茶の湯の展開と見てよいのではないでしょうか。



知:僕が最近興味を持っている俳句の世界に、金子兜太(かねことうた)という俳人がいます。小林一茶や種田山頭火の研究者でもあり、現代俳句協会名誉会長という立場で俳諧に寄与した人です。僕は同郷のご縁もあって、生家である壺春堂(こしゅんどう)の扁額を書かせていただいたりもしました。


季題を用いることが絶対だった先人の流れを受け継いでいたのが、昭和の時代になると、季題にも定型にも囚われない自由律俳句というような新しい表現が出て来た。その時、ここの議論と同様に、形が変わっても精通する本質とはなんだろう、という問いが生まれました。それに対して金子兜太は「感動があるかどうか」ではないかと考えたんです。季題や定型という形が守られていても、そこに感動がなければ意味がなく、「心の動きがあったか」ということが大事だと。


僕もそれに共感するところがあって、連載の最後は、「古今和歌集仮名序」を取り上げて、「あはれ」と感動する心が、後の歌論のおおもとになったことを説明しました。



知:僕は、昔ながらの茶道と、現代茶人のアーティステックな表現の間をつなぐ要素に、和歌がなり得るのではないかと考えているんです。「変えない茶」と「変わっていく茶」をつないでいきたい。そこに歌論を用いることができないかというのが、僕の考えです。


神:なるほど。たしかに千何百年前の万葉の和歌を今の人が読んで感動できること、そして和歌が今も続いているのはすごいことです。和歌は日本文学の根幹を成すもので、茶の湯の世界の季節感の捉え方や美意識とか、すべての源流になっています。


知:先ほどの先生のお話の中で、「俗を離れる」という言葉も印象に残りました。日常的な話や損得から少し離れた場所に身を置く、そういった世界観を表現するのにも和歌は有効ではないかと感じています。


「ひとうたの茶席」は、お茶席の決まりごとから離れて、リビングで好きな書を眺めながら、ひとりで、またはご家族や友人と、気軽にお茶を一杯いただくようなイメージを想定していました。でも結果的には、表具師・華道家・写真家の一芸に秀でたメンバーが集まり、それぞれの創造性を発揮してくれたおかげで、かなりコンセプチュアルで美しい写真になりました。結果的に、当初の僕の意図とは離れましたが、それは和歌が、多くの日本人のイメージを豊かに膨らませることができるものだったからこそと思っています。



茶の湯のこれから


神:これからのお茶を語る時、私たちのような研究者の言うことはあまり信用しない方がいい。「これからの茶はどうあるべきか」という問題は、明治にも戦前にも戦後にも、折に触れ提起されてきました。でも今振り返ってみると、研究者の提言は、こう言ってはなんですが、まあ平凡で、ろくなものがありません。


やはり実践して、真剣に、いわば命がけでお茶に向き合っている茶人の中から、その答えが生まれてくるものだと思います。俳句について金子兜太氏がいわれた「感動があるかどうか」は、納得です。茶の湯でも同じでしょう。井伊直弼の「一期一会」はそれが前提で、つまらない茶会ならあってもなくても同じことです。そのためには、書家や表具師、華道家といったクリエイターも、道具や料理・菓子の作者と同様に、これからはその一端を担う可能性は十分あるでしょう。


今から200年、300年経ったら、20世紀の音楽家としてまず名前が出てくるのは、もうクラシックの「前衛」ではなく、ビートルズではないでしょうか。クラシック音楽の流れとは違うところから出てきた音楽家です。茶の湯において21世紀はどうなるのか、今を生きる茶人たちがそれぞれに試行錯誤して行けばよいと思っています。その中から、後に「中興の祖」と言われるような人が出てくるかもしれませんね。



知:新型コロナウィルスの影響で、茶会のスタイルも変わらざるを得なくなっています。


神:大寄せ茶会の時代の終わり、ということになって欲しいです。早朝に出かけて、会場では長い行列をして待ち、大広間に通される・・何年か後に振り返ったら、「あんなことをよくやっていたな」と思うようになる可能性はあります。気の置けない数人の仲間で、みんなに都合のよい場所で、しかも気軽な値段でゆっくりと楽しめたら、「あれ、こっちの方が良かったじゃない」と気づくはずです。本来の茶の湯はそういうものだったのです。家元の掛物がなくても、たとえば連客の書家の作品で、その人が解説もしてくれたりしたら、今までのお茶会とは違う刺激、楽しみ方が生まれてくるでしょう。


知:先生は若い頃マルクス経済学の研究をされていて、ドイツでも学ばれたそうですが、そのご経験は今の研究につながっていますか?


神:マルクス経済学の研究者から茶の湯の研究者になった経緯は、とてもここで語りつくすことはできません(笑)が、その歴史観は常に自分の根底にあると思います。一言で言えば、歴史は常に変わっていくという考え方です。


茶の湯について、利休がその精神性によって茶の湯を大成し、それが今でもまったく変わらず引き継がれている、というように語られることが多いのですが、そんなことはありえません。そうした見方は、変化の意味を矮小化して、実は現代の先入観で利休像を描くだけのものになっているのです。


歴史のうねりの中で、もちろん何かの要因があって、ある時にはよかったものが、どんどん時代に合わなくなり、古くなり、新たなものに変わられていく。ということは、茶の湯もこれから、今とは違うものへと変わり続けていくと考えています。それができなければ、茶の湯自体がなくなるかもしれません。


まあ、そんな歴史観をもって、茶の湯の歴史を変化の歴史、その要因は何かという視点から見直しているのが私の茶の湯史研究ということになるでしょう。



神津朝夫先生プロフィール


1953年東京生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。ドイツ、マンハイム大学に2年間留学。帝塚山大学大学院博士後期課程修了。博士(学術)。短大・大学教員を経て、現在は著述業。本文で紹介した著書以外にも、『茶の湯と日本文化』『茶会記を読み解く 茶人の工夫と茶会の変遷』(淡交社)などがある。




神津先生、有難うございました。


(文 山平昌子)